[与太] 今年もふつうに 12月3日 を迎えることができました。

2015年12月3日

 この記事は、ふつうの広島 Advent Calendar 2015 3日目の記事です。

 今年も 12月3日 を迎えることができました。昨日は 12月2日 でしたから当然です? そう考えるのがふつーですよね。
 ところが、12月2日 の翌日が 12月3日 でなかった年がむかしあったのです。

 それは 明治5年。この年の12月2日の翌日は 明治6年1月1日 となりました。なぜかというと、それまでの旧暦(太陰太陽暦)から現在の太陽暦(グレゴリオ暦) に改暦したからです。

 つまり・・・
 12月の工数は2日間だけってことですね。一気に一か月納期が短縮したようなものです。
 さらにこの改暦の布告は、改暦の約一か月前の 11月9日 です。年明けリリース!なんてスケジュールだったりすると、残り2ヵ月あったはずが一瞬にして残り1ヵ月です。プロマネもびっくりです。でも決まったことをとやかく言っても仕方ありません。やるしかないです。プロマネはプログラマー叱咤 激励 し、プログラマーは昼夜の別なく作業して、納期に間に合わせなくてはなりません。レッツデスマーチですね!

 ふつーに 12月2日 の翌日に 12月3日 が来るって大切!
 今年もちゃんと 12月3日が来てよかった。

 ところでその時の給料ですが。当時は月給制でした。なので、2日でも1ヵ月ですから1ヵ月分の給料が!とおもいきや、2日しかないんだから12月の給料はナシね、という話になます。加えて、翌明治6年は旧暦のままであれば閏月のある年なので13ヵ月分の給料が貰える年だったのですが、太陽暦に変わったことでそれもなくなり・・・ もちろん月あたりの日数も約1日増えたわけでして(汗
 しかし、まあ改暦自体「給料を払いたくない」というのが動機らしいという話もあり、昔も今もあまり変わらず、ふつーに ブラック 厳しかったんですねえ、ということで。(残業代なんて制度もなかったでしょうしね)

 参考

明治5年
https://ja.wikipedia.org/wiki/明治5年
月給制
https://kotobank.jp/word/月給制





カテゴリー: 与太話

Follow comments via the RSS Feed | Leave a comment | Trackback URL

コメントを投稿する

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)


«   »
 
Powered by Wordpress and MySQL. Theme by Shlomi Noach, openark.org