杉原千畝をぐぐって思ったこと

2005年10月12日

杉原千畝の特番があったようだ。放送後に気づいたので観られなかった(汗

そんなわけで、杉原千畝をぐぐっていると
「彼はそんなに賞賛されるほどすごいことをしたのだろうか?」
という気になった。

いや、ユダヤ人を幾千人か救ったのは結果として素晴らしい話だと素直に思うし、ユダヤ社会の側から見れば間違いなく賞賛される話だと思う。そこを否定する気は全くないのですが。

でも日本の側からみたらどうなのか?
もしも、ビザ発給資格を満たさない者にビザを乱発して結果、それが元でその人達が難民化してしまったら?

だから当時の外務省は、日本国通過査証の発行にあたって、
> 最終国の入国許可を持たない者にはビザは発行してはならない
と回答したわけで、冷静に見れば真っ当な回答なわけです。ユダヤ人は通すなとか言っているわけでもない。だから私には、外務省&政府=悪、と宣伝されるほど悪い対応したとはどうも思えない。

にもかかわらず、彼は発給資格を持たない者にもビザを発給した。そのために幾千もの人命が救われた。それはよいとして、しかし別の視点でみれば、国家の方針に反したと言うことは、国家を代表し、国益を体現すべき外交官としては道はずれた行為であるという見方もできると思う。

たとえば現在、ある外交官が個人的な判断で北朝鮮の難民を大挙して日本に移住させるような施策をとったら?我々はそれを人道支援万歳と無際限に受け入れることが出来るのだろうか?

そう考えると、やはり政府の意向(=法律や規則/方針)には従うべきなのではないか。
でなければ、本人がそれが善であると判断すれば、組織の規定によらなくても、組織から与えられた権限を乱用してもよい、という前例になり得てしまうこととなり、それは却って危険なことではないだろうか。

このケースはたまたま結果がよいほうに転がったから現在も賞賛された。プラスの要素ととマイナスの要素とがあって、たまたま結果がプラスの方が傾いた。もしもマイナスに傾いてしまっていたら、彼への評価は180度変わっていたのかもしれない。

こう考えてしまうと、彼は日本側から見ればそこまで賞賛されることをしたわけではないような気がするわけです。誤解を恐れずいえば、行為だけを見る限り、石原完爾に近いものがある気がする。

まあ事実がどうであったかを詳細に調べた上で書いているわけではないので事実把握誤りも多いと思いますけど、とりあえず現時点ではそんな感想をもちました。

ところで今回放送された番組はそういう「杉原=英雄」で観点の番組だったんだろうか、そうではなかったんだろうか。単純な「杉原=英雄」路線だったらまあ興味はないんですが、そうでないなら気になるなあ。しまった録画しとけばよかったなあ。と後悔しきり。






カテゴリー: 与太話

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